健太郎先生の受験体験記

9月23日 社会人での受験

 今日は、社会人になってからの受験の経験について。健太郎先生は、社会人になってサラリーマンをしながらドイツ語学校に通っていました。ゲーテ・インスティトゥートと言って、世界に広がる、当時は半分西ドイツ政府の公的機関のような組織でした。

 東京のゲーテ・インスティトゥートのクラスには、大学のドイツ語の先生や、国土交通省でベルリン大使館に勤務していたお役人さんなんかもいました。12、3人のこのクラスの目的の一つは、世界で通用するZOPという「中央上級試験」に合格することだったんですが、あるときのその試験で合格できたのは、大学のドイツ語講師と健太郎先生だけでした。

 そのとき、ベルリン大使館に勤務していたお役人さんが、「すごいですね。私はドイツにいたときに受けましたが、受かりませんでした。尊敬します」と言ってくれました。

 なぜ健太郎先生が受かり、東大法学部卒で、ベルリン大使館に勤務していたエリーの彼が受からなかったかわかりますか?

 答えは実に簡単。何しろその試験を受けるまでの2年くらいの間、少なくとも彼の3倍くらいの時間をドイツ語の勉強に使っていたからです。たぶん、頭は彼のほうがずっと良かったんだと思いますが、頭が悪ければその分ひとよりもたくさん勉強するしかないんですね。健太郎先生は人生の経験からそのことがよくわかっていました。

6月20日 中学時代の成績

 

 この間、探し物をしていて本棚をひっくり返していたら、中学時代の成績表が出てきました。見るのは恐ろしかったんですが、そーっと開いてみると、中学3年の1学期の成績は、数学と英語が2、後はぜーんぶ3でした。「うーん、これは塾の指導者としてまずいなー。見なかったことにしよー」なんて思ったんですが、口の軽い健太郎先生は、こういうことを黙っていられないんですね。

 で、この成績で、大した学校ではありませんが、よく都立高校に合格できたなあと振り返っているうちに思い出したのが、都立受験のときの点数です。英語が70、数学が72、国語が78点。担任の先生が見せてくれたので、はっきり覚えています。(当時の都立高入試は3教科)

 まあ、塾の指導者としては恥ずかしい成績ですが、英語と数学が2だったのに、よくこれだけ点数が取れたものだと、逆に勝手に一人でにんまりしてしまいました。

 さらに思い出したのが、受験期の勉強。夏休みに集団塾の講習に行きましたが、これは全然何を言っているのかわからず役に立ちませんでした。それで、俺はもうだめかなあなんて思っていたのですが、冬休みになってさすがに何もやらないのはまずいだろうと思い立ち、本屋さんに行って、そこにあった一番薄い問題集を買って帰りました。「一日20分10日間完成!」というその安易な題名を今でも覚えています。

 この内容は易しかった。健太郎先生にもよくわかった。で、この薄っぺらな問題集3冊だけはやり終えて入試に臨んだんですが、上のような点が取れました(って自慢にはなりませんよね)。

 ここからの教訓は、たぶん、自分に合ったレベルの問題で、一問一問を丁寧に暗記するくらいにやるってことなんじゃないでしょうか? 手の届かいない問題をやっても力はつかないというか、それ以前にできないのですから、何の意味もありません。

 但し、上位校に行きたいのなら、この100倍くらいやらなければならないのは、当たり前ですけど。

4月24日 KとWの高校時代

 

 4月3日のところで書いた、高校時代の友人、KとWのことをもう少し書き足しておきます。

 東大の理Ⅰに受かったKは、高校の頃、学校に持ってくるものは、学生服の胸にさしたペン1本だけでした。教科書やノートは全部学校の机の中に置いてあるんですね。つまり、学校の勉強なんか学校だけで十分、俺は家でそれ以上のことをやっているんだ、という彼のアピールだったわけです。嫌味なやつですね(笑)。

 で、群馬大の医学部に入ったWは、健太郎先生と一緒のクラスだったんですが、こいつがこれまた変わってやつで、趣味が勉強なんです。休み時間になると、Wは数学の参考書を出して、黙々と読んでいました。私たちとは外に遊びに出ないし、言葉もほとんど交わさず、ひたすら黙々と参考書を読んでいるんです。

 私が二人を見て思っていたのは、お前らそんなに勉強が好きなのに、何で俺と同じ偏差値52,3の学校になんか来てるんだよ、ということでした。

 でもまあ、一念岩をも通すとは言うもので、そういう意味では大した奴らだったと思います。

4月3日 どうして試験に受かったのか?

 

 健太郎先生が通っていた高校は、都立大森高校といいます。この間、ネットの資料を覗いたら、現在は都立の底辺校になってしまっていて、ちょっと残念でした。ただ、私が入学したときでも偏差値52か53くらいの学校だったので、進学に関してはたいした学校ではありませんでした。

 

 ところが、私と同じ学年からは、東大の理Ⅰ、群馬大の医学部、埼玉大学の教育学部、そして信州大学の人文学部(健太郎先生です)など、国立大学にも受かったりしているんですね。正直なところ、ふつうは、偏差値がたった52か53の学校から、東大や国立大学の医学部に合格するなんて不可能ですよね。それなのにどうして受かったのか。

 

 答えは簡単、東大に受かったKにしても、群馬の医学部に受かったWにしても、いつも「俺は東大に行く」と周囲に宣言していたからですね。ふつう、人間は自分の持っている能力の何分の一かしか力を出していません。火事場のバカ力と言うように、もし本気でその能力を使えば、多くの人が相当のことができるんです。ところが、人間は弱いから、自分をついつい甘えさせてしまう。

 KもWも「東大に行く」と周囲に宣言していただけでなく、彼らはほんとうによく勉強していました。一生懸命勉強しさえすれば、偏差値52の学校からだって東大に入れるんですね。健太郎先生は、高校時代は遊びつくしていましたが、KやWの姿を見ていたんで、浪人に突入したとき、「やつらにできるんなら、俺にだってできないことはない」と考えて、つまりは彼らから影響を受けて努力しちゃったわけです。 健太郎先生は哲学の勉強を山岳地方の大学でしたかったので、信州大学に行きましたが、センター試験(当時は共通一次)後の代ゼミの判定では佐賀医科大学(現在の佐賀大の医学部)も合格確実と出ていました。

 

 人間やればできるんだと信じることが大切だと思います。そして挫折を味わっても何度でも立ち上がってくること。人間は、負けだと思ったときに本当に負けてしまいます。

 

◇地獄の受験体験記

 

 健太郎先生はセンター試験(かつての共通一次試験)のとき、5教科7科目で847点をとっています。数学200、英語164、国語168、理科157、社会158(但し、自己採点)でした。

 現在学習塾の指導者であり、英会話、ドイツ語会話も教えている健太郎先生のことですから、楽をして受験に通ったと思う人がいるかもしれません。しかし、とんでもない話しなんですね、これが。塾の指導者としては恥ずかしい話しかもしれませんが、人間その気になってやればできる、ということの証明のために、私自身の大学受験体験記を簡単に書いておきます。

 

◇最底辺の受験生だった

 

 都立高校の3年生だった健太郎先生は、秋も深まった頃、代々木ゼミナールの公開模試を受けに行きました。受験しているときすでに「これはヤバイぞ」とは感じていたものの、返ってきた結果を見て目の玉が飛び出ましたね。なんと、5教科の偏差値は32か3でした。当時の受験者は15000人くらいでしたが、下から2、300番なんですね。この結果に自分がどれほどのアホか思い知らされました。

 

◇浪人して心を入れ替えて勉強を始めた

 

 当然そんな成績では行く大学はありませんから、浪人に突入です。ただ、普通はそんなできない生徒は浪人したからといって、いきなり変わるわけではないのですが、健太郎先生の場合は頭が単純にできていたせいで、浪人生活が始まったその日から「心を入れ替えて」勉強を始めたんですね。ほんと、自分でもそれまでの自分が信じられないくらい、毎日真面目に勉強しました。

 

◇予習と復習の徹底

 

 その勉強法がどんなものだったかというと、通い始めた予備校のテキストの予習と復習を徹底したんですね。大切なのはまず予習すること。答えを聞いてしまう前に、自分の力で教科書や参考書を使って何とか答えにたどり着く努力をする。この過程でかなり頭を使うことになります。もちろんどうしたって解けない問題もあります。そうすると、その問題の解き方をどうしても知りたくなる。その気持ちと下準備の成果を持って授業に臨むと、これがよくわかるんですね。

 そして、帰ってきたらすぐに復習です。同じ問題が出たら必ず解けるように丁寧に復習をする。復習をしてもわからない問題は、そのまま丸暗記しました。こうすれば、同じ問題である限り解くことができます。

 復習した後、翌日の予習が終わるまで、絶対に寝ませんでした。それでも1日の睡眠時間は6時間弱くらいはとれていましたよ。TVも見ないし遊びもしないから、それくらい眠れるわけです。

 

◇成果が出てくるまでに半年かかった

 

 成果が出始めるまでには、自分で思っていたより長い時間がかかりました。3ヶ月くらいで成績が上がるかなと思っていたのですが、これが一向に上がってこない。しかし、健太郎先生は自分がアホだと思っていたので、アホは勉強を続けにゃならんということで、歯を食いしばって勉強を続けました。

 成果が出始めたのは、秋頃でした。そして一旦成績が上がり始めると、そのまま順調に上がり続けました。

 

◇無事合格から再度受験に挑戦

 

 翌年の受験で、当時で偏差値55くらいの大学の工学部に合格しました。文系で言えば偏差値60くらいに匹敵するんじゃないでしょうか。偏差値32から55だとしても、すごい上がり方ですよね。

 ところが、工学部に入学した後、いわゆる5月病に罹っちゃったんです。あんまり勉強ばっかりしていて他のことは何も考えなかったために、大学に入った後で、「僕のやりたかったことって、ほんとは何だったんだっけ?」「僕の生きている意味って何なんだろう?」なんて悩み始めたわけです。

 で、悩んでいるうちに、きっと哲学を勉強すれば、そのなぞが解けるだろう、なんてこれまた単純な結論を出して、その年の9月に退学届けを出しちゃいました。

 

◇4ヶ月の勉強で偏差値が67,8に

 

 9月から再び予備校に通い始め、最初の浪人生活に輪をかけてハードな勉強をしました。それでも1日5時間くらいは眠っていました。健太郎先生は寝ないと頭が働かないんです。

 で、気がついてみると、最後の1月の公開模試では、5教科の偏差値が67だったか68に上がっていました。現役のときに比べたら、偏差値は倍以上に伸びちゃったんですね。

 

◇人間、やればできるということ

 

 あれほどアホな生徒だった健太郎先生ですら、やればできたわけですから、人間その気になればかなりの線まで行けるはずです。正直なところ、ソフィアに入会してくる生徒たちを見ていると、あの頃の健太郎先生よりは、みんな頭が良さそうに見えるわけです。

 

◇大切なのは、とにかく今から始めること

 

 大切なのは、やろう!っと思ったら、とにかくすぐに始めること。やればできても、何もしなければ何もできません。努力を惜しむな、根性を見せろ! ガタガタ言う前にとにかく初めてみよう!

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